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コリント人への第一の手紙12章14-21節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2023年1月28日
  • 読了時間: 2分

実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。


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人の身体は多種多様な肢体、臓器から成り立っている。身体の各器官は互いに異質な個性を有している故に、上記のみ言葉のように互いに反目し合って当然であろう。例えば、目は小さなほこりが入ったら大騒ぎになる。それに対して足は常にほこりまみれである。そのようなふたりが一緒にいることは難しい。また、足が果たしている役割を目が理解することは難しいし、目が果たしている役割を足が理解することは難しい。だから、目と足が互いに拒絶し合うことは無理からぬことである。しかし実際の人の身体は、実に見事に一致協力して大切な使命を果たしている。目が見るという役目を果たさなければ、足は歩くことも走ることもできない。また、足は移動してくれるので、目は様々な光景を見ることができる。目も足も頭脳の指令に従うことによって、スムーズな連携が可能になるのである。

教会も同じである。私たちは、キリストの身体につながれた各器官なのである。キリストの言葉に従うことによって一致した行動ができる。主に従うことによって、互いに相容れることの難しい相手とも、共に力を合わせ働くことができるのである。




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