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詩篇149篇1節
主をほめたたえよ。主にむかって新しい歌をうたえ。聖徒のつどいで、主の誉を歌え。 ******* 詩篇の黙想も、残すところ150篇のみとなった。これまで詩篇の一篇、一篇を味わい思いめぐらしながら、大いに感ずることは、礼拝とは主をほめたたえることであった。そして、私たちがなし得るもっとも大いなることは主を賛美することであると。いつも日々に主をたたえ、新しい歌がささげられるものでありたい。「新しい歌」とは、この時代に歌われる新しい賛美の歌を作ることもそうであるが、この詩篇に書き連ねられた「たたえの歌」をわが歌として、新鮮な霊的感動をもって読み上げ歌うなら、それはその人しか歌えない「新しい歌」となり得る。新聖歌も、新しく作られつづけているワーシップソング、ゴスペルソングも、わが歌として歌うのである。 主に向かって、新しい歌を歌え。

Pastor
1月13日


詩篇148篇1節
主をほめたたえよ。もろもろの天から主をほめたたえよ。もろもろの高き所で主をほめたたえよ。 ******* 天から、主なる神をほめたたえる賛美が聞こえないだろうか。太陽が、月が、あまたの星々、雨、雪、霜、吹きすさぶ風の中に、ほめたたえるその声を。地から、主なる神をほめたたえる賛美が聞こえないだろうか。地上に群がる動物、さえずる鳥、海にいるあらゆる生き物、地をおおう草木がほめたたえるその声を。自然界とそこに生息する動植物は、神の注がれる愛と満ちあふれるばかりの恵みを知っている。だから、主をたたえないではおれないのである。神のかたちに造られ、神より少しく劣るものとして造られたわれわれ人間はどうであろうか。神に背を向け、ひたすら自分のことばかりを考え生きている。不平と不満をこぼし、感謝することを知らない。自然界とそこに生息する動植物にならい、心の目を主なる神に向け、主をほめたたえるものでありたい。

Pastor
1月12日


詩篇146篇3-5節
もろもろの君に信頼してはならない。人の子に信頼してはならない。彼らには助けがない。 その息が出ていけば彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの計画は滅びる。 ヤコブの神をおのが助けとし、その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。 ******* 人間社会は、人や物を頼りとして、その上に生活の基盤が築かれている。しかし、人や物は有限なものであって、物は自然災害などで突如何もかも失われてしまったり、頼りとしていた人が急逝したり、ある事で、信頼関係が崩れてしまったりすることがある。肝心な時に頼れないことが起り得る。だから、永遠に変わることのない主なる神により頼み、そこにこそ、望みを置くべきである。 人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。 主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。 たしかに人は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。 しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない。 (イザヤ40:6-8)

Pastor
1月9日


詩篇146篇1-2節
主をほめたたえよ。わが魂よ、主をほめたたえよ。 わたしは生けるかぎりは主をほめたたえ、ながらえる間は、わが神をほめうたおう。 ******* 賛美をすることは、音楽をたしなんでいることではない。主に向かって、全身全霊をもって神をたたえるのである。生活のすべての領域で、主がなしてくださったみわざの故に、主に感謝し、主を喜ぶのである。内側からあふれ出るように賛美するなら、私たちの魂と心と身体は、神のいのちに生かされ、健やかにされる。内に広がる平安は、何ものをもってしても奪われることはない。私は生けるかぎり、どんなに老いて記憶が薄れ、認知できなくなってきても、主なる神を忘れることなく、ほめたたえる者でありたい。

Pastor
1月8日


詩篇145篇16-19節
あなたはみ手を開いて、すべての生けるものの願いを飽かせられます。 主はそのすべての道に正しく、そのすべてのみわざに恵みふかく、 すべて主を呼ぶ者、誠をもって主を呼ぶ者に主は近いのです。 主はおのれを恐れる者の願いを満たし、またその叫びを聞いてこれを救われます。 ******* 主なる神はみ手を開いて、願い求める人の祈りに応えられる。腕を組みそり返って、にらみつける人のようではなく、手を差し出し開いて、間に合って救いの手が差し伸べられられるように、身がまえておられるのである。 誠をもって主を呼び求める人に近い。それにまつわるエピソード。日曜の午後、教会から数キロ離れた町に日曜学校の分校があり、若い牧師が自転車に乗ってそこにおもむき、その分校で子どもたちと讃美歌を歌い、聖書のお話をし、祈って導いていた。ところが、日曜学校が終わろうとする頃にどしゃぶりの雨が降り始めた。雨具もない、時間どおりに帰らないと、夕方に教会で行われる伝道集会にも間に合わない。日曜学校が終わった後、子どもたちが玄関に集まって、ひとりの子が「先生のためにこれから祈るから、大丈夫だよ

Pastor
1月7日


詩篇145篇8-9節
主は恵みふかく、あわれみに満ち、怒ることおそく、いつくしみ豊かです。 主はすべてのものに恵みがあり、そのあわれみはすべてのみわざの上にあります。 ******* 私たちが信じる主なる神は善良な神であって、常に真実で最善をなされる神である。私たちがさらに主に近づけられ、人としても信仰者としても成長を望まれて、試練の中を 通される時もあるが、通常は必要なものが備えられ、健やかで平穏な日を与えられる。それ故に、主を喜び歌い、主に感謝し、主の恵みと主のみわざを人々に語り伝えてゆきたい。

Pastor
1月6日


詩篇144篇9節
神よ、わたしは新しい歌をあなたにむかって歌い、十弦の立琴にあわせてあなたをほめ歌います。 ******* 目には見えないが、ここに主なる神をおられるという主の臨在に触れ、主が語られ、主の恵みといのちが注がれる。主に守られ主に助けられる経験をする時に、私たちのうちから新しい歌があふれ出てくる。古くから歌い継がれてきた歌であっても、わが歌となって、その歌詞のひとつひとつが私の信仰そのものを表わすものであると思えて、新鮮な感動をもって歌うのである。 この新たな年、そのような新しい歌をいくつ歌うことができるだろうか。毎週の主日礼拝の中で、一日一度主の御前に出て、聖書を開き祈る時に、新しい歌をもって主の恵みに応答したい。

Pastor
1月5日


詩篇143篇7-8篇
主よ、すみやかにわたしにお答えください。わが霊は衰えます。わたしにみ顔を隠さないでください。さもないと、わたしは穴にくだる者のようになるでしょう。 あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。わたしはあなたに信頼します。わが歩むべき道を教えてください。わが魂はあなたを仰ぎ望みます。 ******* 敵の攻撃に遭い、命の危険にさらされているか、病によってひん死の状態にあったか、「わが霊は衰える」とは、死が押し迫っていることを表わし、「穴にくだる」は陰府(よみ)に下ること、死を表わしている。そのような中で主のいつくしみにすがり、どこまでも主に信頼し、主に望みを置くことを言い表わし、逃げようのない中で、進むべき道、そこから脱出する道をを教え示し、その道を歩ませてくださいと祈っているのである。

Pastor
2025年12月31日


詩篇142篇1-7篇
わたしは声を出して主に呼ばわり、声を出して主に願い求めます。 わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。 わが霊のわがうちに消えうせようとする時も、あなたはわが道を知られます。彼らはわたしを捕えようとわたしの行く道にわなを隠しました。 わたしは右の方に目を注いで見回したが、わたしに心をとめる者はひとりもありません。わたしには避け所がなく、わたしをかえりみる人はありません。 主よ、わたしはあなたに呼ばわります。わたしは言います、「あなたはわが避け所、生ける者の地でわたしの受くべき分です。 どうか、わが叫びにみこころをとめてください。わたしは、はなはだしく低くされています。わたしを責める者から助け出してください。彼らはわたしにまさって強いのです。 わたしをひとやから出し、み名に感謝させてください。あなたが豊かにわたしをあしらわれるので、正しい人々はわたしのまわりに集まるでしょう」。 ******* おおよそ、この詩篇は、敵の謀略から守り助け出してくださいと、主に祈っている「嘆きの歌」である。ただどのような場面でうたわれたかについ

Pastor
2025年12月30日


詩篇141篇4-5、8節
悪しき事にわが心を傾けさせず、不義を行う人々と共に悪しきわざにあずからせないでください。また彼らのうまき物を食べさせないでください。正しい者にいつくしみをもってわたしを打たせ、わたしを責めさせてください。しかし悪しき者の油をわがこうべにそそがせないでください。わが祈は絶えず彼らの悪しきわざに敵しているからです。 しかし主なる神よ、わが目はあなたに向かっています。わたしはあなたに寄り頼みます。わたしを助けるものもないままに捨ておかないでください。 ******* ここには、自分を巧みな言葉によっておとしいれ、わなにかけようとする敵から私を守ってくださいという作者の祈りがつづられている。ただし、自分が守られ救い出されるにあたって、敵と自身とが主の正しいさばきの前に公平に扱われることを作者は願っている。「悪しき事」に自らが心ひかれ、「悪しきわざ」をなしてしまうことがないようにしてくださいと祈り、もし、誘惑に負けて悪しき事を犯してしまうようなことがあれば、悪しき者に自分を明け渡すことなく、主が正しいと思われる人を立てて、私をさばいてください。その時には、

Pastor
2025年12月29日


詩篇140篇6-7節
わたしは主に言います、「あなたはわが神です。主よ、わが願いの声に耳を傾けてください。 わが救の力、主なる神よ、あなたは戦いの日に、わがこうべをおおわれました。 ******* 万物を造られ、健康を与えすべてを備えられる父なる神、あらゆる危険から私たちを守り、罪、あやまちを犯す時にとりなされる子なる神、イエス・キリスト、神が信じられなくなるような時に私たちに寄り添い励まされ、私たちの心を神に向かわせ、み言葉が信じられるように導かれる聖霊なる神、この三つにましてひとりの神が、あなたが信ずべき真の神である。この神に向かって「あなたはわが神です。主よ、わが願の声に耳を傾けてください」と告白し祈る者でありたい。そうすれば、三位一体の神はあなたの力の神となって、敵の攻撃にさらされる時に、あなたの頭(こうべ)をおおう「救いのかぶと」となってくださる(エペソ6:17、イザヤ59:17)。

Pastor
2025年12月13日


詩篇139篇23-24節
神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。 わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。 ******* 主なる神は、私たちのほめられるべき善良なところをよくご存じであるが、同時に、私たちの弱さや罪深さもよく知っておられる。主の御思いと知識とは広大であると言った場合、それは人に対する寛大さである。主イエスが、人々に嫌われていたあの取税人ザアカイに心かけて彼の家に迎え入れられ、救いに導かれたように、主はどんな人をも受け入れ導かれる神である。それに対し、この詩篇の作者は何と不寛容なことか。19-22節は、敵対する人に対し容赦のないさばきをくだされることを嘆願している。それでも、私たちがならべきことはこの最後の言葉である。私のうちに悪しき道がないか、悪しき思いがないかを探り、試みてください。そして主のお心にかなう道、それは永遠の御国に通ずる道である、そこに迷いなく導いてくださいと祈っているのである。私たちもまた、いつくしみ深く、寛大な神に甘えることなく、主のお心にかな

Pastor
2025年12月12日


詩篇139篇18節
わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。 ******* 詩篇121:4には、「見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない」とある。私たちが眠っている間にも、主なる神は眠らず、うとうとすることすらしないという。それゆえに、私たちが目覚めれば、いつも私たちのかたわらに主は居られ、私たちを見守っておられるのである。熱を出し水枕をし、熱が下がって朝方早く目を覚ますと、枕元に母がいる。だれしも、幼少の頃にそのような経験をしているのではないだろうか。そのような親の姿に私たちの主なる神の姿を見るのである。

Pastor
2025年12月11日


詩篇139篇17節
神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。 ******* 主なる神の諸々の御思いは尊く、広大であるという。私はこの17節のみ言葉をこのように受けとめている。 諸々の御思いとは、私たちひとりひとりに異なる固有の思いを持っておられるということで、ひとりひとりへの見方が違い、関わり方が違う。十把一絡(じっぱひとから)げに扱わない、細やかであり、丁寧である。そうしたかかわりを天文学的な数字の私たち人類のすべてのひとりひとりに対してなされる。私たちの想像をはるかに超えた広大さ、そして私たちのひとりひとりを知っておられ、その情報をもとにもっともふさわしいケアをしてくださる。なんと尊い神なのであろう。

Pastor
2025年12月10日


詩篇139篇13-14節
あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。 ******* 何度もこの箇所を開いて語ってきたが、創造主なる私たちの神は、私たちを母の胎内で組み立てられた。そして今も私たちに命を供給し、健康を支えておられる故に、私たちの身体のことも心のこともよく知っておられる。私たちをとりまく自然環境は美しく心地よく、私たちも精巧によく造られている。そのように良きものを与えらえる主を畏れ、信頼し、その御声を聴いて主と共に歩んでゆきたい。

Pastor
2025年12月9日


詩篇139篇11-12節
「やみはわたしをおおい、わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。 ******* ヨハネ1:5に「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」とある。光はキリストご自身である。キリストと共にあるならば、やみは恐れるに足らない。やみは光に勝つことができず、やみの中に身を置かざるを得ないようなことがあったとして、光の中にいる時と何ら変わらないからである。 キリストを信じるようになってから、私にとって、やみは恐ろしいものではなく、目に見えない神を感じる場所となった。まさに、やみは光と何ら異なることはないのである。

Pastor
2025年12月8日


詩篇139篇7-10節
わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。 わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。 わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、 あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。 ******* 7、9節は水平的な距離のことが言われ、8節は垂直的な距離のことが言われている。いずれにしても10節に言われるように、私たちがどこにいても、主なる神の御手は届いているのである。旧約聖書ヨナ書の預言者ヨナは主の御手から逃れたい一心で、ニネベとは正反対のタルシシ行きの船に乗った。ところが嵐に遭い、彼は大海に放り出され巨大な魚に呑み込まれて、ニネベの海岸に吐き出された。神を信じる者も信じない者も、主の御手から逃れることができない。しかし、それが私たちにとっての救いなのである。主の御手の届くところに神の恵みと救いがある。しかし反対に、主の御手の届かないところは果てしない暗やみ、永遠の滅びである。だれ一

Pastor
2025年12月6日


詩篇139篇6節
このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません。 ******* どんなに頭脳明晰な人があっても、神の知恵と知識には到底及ばない。もし、陰謀によって私たちを破滅させようという者があったとしても、神はそれを見破り、私たちの足が揺るがされることを許さない。 「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」(ヤコブ1:5)。 知恵が足らないことを嘆く必要がない。自らの無知を素直に認め、主により頼み祈るなら、主はその都度、必要な知恵を与えてくださる。

Pastor
2025年12月5日
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