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ヤコブの手紙3章2節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年11月15日
  • 読了時間: 1分

わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。


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クリスチャンと言えども、罪・あやまちを犯す。それゆえ、行いによって人が救われるとするならば、だれひとり救われるものはいない。われわれが救いようのない罪人であるからこそ、神が人となってこの地上に来られ、十字架にかかったのである。


私たちの犯す罪・あやまちのほとんどは、口から発せられる言葉によるものである。自らの口を正しく制することができれば、全身を、私というもののすべてを制御することができる。ここにもわかりやすいたとえが列挙されている。馬を御するくつわ、船を制御する舵(かじ)、森を燃やす小さな火、今日的なものでたとえれば、車のハンドル、ブレーキ、アクセルである。口から発せられる言葉は、心から出てくる。心の思いが熟して言葉となる。だから、心のもっとも深いところをキリストに明け渡すのである。そこにキリストが住まれ、そこに聖霊が注がれるなら、私たちの口と言葉はきよめられ、他人を生かし救いに導く言葉が発せられるようになる。




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