ヨハネによる福音書20章24-29節
- Pastor

- 2025年4月22日
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十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
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復活の主イエスがご自身を現わされた時に、そこにトマスはいなかった。他の弟子たちが喜び勇んで主の復活を証言して語ったが、彼は信じ受けとめようとはしなかった。トマスはかたくなに見なければ信じない、主の両手にある釘の跡と、脇腹に刺された槍の跡に手と指を差し入れてみなければ、決して信じないと言い放った。主の痛ましい傷跡に手を差し入れるなど、どうしてそんなことができようか!トマスは何を考えているのかと腹立たしくさえ思うが、これが、神を信じられない人の現実である。かつての私も、トマスとまったく同じだった。
そのようなトマスの要求に答えるようにして、その八日後に、再び復活の主は姿を現わした。
復活の主を拝し、トマスは疑った自分をどんなに悔いたであろうか。彼は主の前にひざまずき、「わが神、わが主よ」と言って、主をあがめたのである。
私は十代に教会に通うようになったが、見えない神様がなかなか信じられなかった。そういう私に牧師は「信じられるように祈りなさい」と言われ、祈るようになった。それから半年後、一年後だっただろうか、信じられる時が訪れた。父の回心の中に私は神を見たのである。長年教会を離れていた父が教会に帰り、主を信じる信仰を取り戻したのである。主によって変えられた父の姿を見て、神は本当に生きていると思えたのである。
是非知っていただきたいことは、主イエス・キリストとは、求める者にご自身を現わされる神であるということである。






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