使徒行伝11章26節
- Pastor

- 2024年4月12日
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更新日:2024年11月6日
彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。
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アンテオケで、キリストを信じる者が「キリスト者」(クリスチャン)と呼ばれるようになった。クリスチャンはキリストの名をいただいたのである。キリストの身体を担う、キリストの一部になったのである。だから、だれの前であっても、キリストを恥じず、クリスチャンであることを明かす者でありたい。何かあやまちを犯し、キリストの顔に泥を塗るようなことをしでかすことがあるかもしれない。しかし、主は「このような者を弟子にしなければよかった」と言って、後悔することはない。罪、あやまちを犯すことは、主は重々わかっておられる。ただ、罪あやまちを犯したら隠さない。それを素直に認め、神にも人にも謝罪する。そして、同じことをくり返すことがないように、神に祈るのである。「わたしから離れて、何事もすることができない」(ヨハネ15:5)と主は言われた。主につながっておれば、くり返すことがないように、主が造り変えてることができる。クリスチャンは、わが身になされた神の救いのみわざを語り、聖書の言葉が真実であることを証言するのである。さらに、私たちの行動と存在は、いつもキリストを指し示すものである。






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