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使徒行伝12章5節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2025年9月22日
  • 読了時間: 3分

こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈りが神にささげられた。


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ブラジル福音ホーリネス教団創立者の物部赳夫の伝記より


サンパウロの教会での出来事である。ちょうどその頃、路地を隔てたすぐ近くに、日本人相手の小料理屋が店を開いた。それからというもの、毎晩のようににぎやかな三味線の音やはやり歌などが聞こえてきた。特に土曜日・日曜日の夜は騒ぎが大きくなる。土曜日は大切な日曜礼拝の準備の日である。教会員が集まって祈りと賛美をささげる。日曜日の晩は伝道集会だが、もちろんそんなことにはおかまいなしに、耳をふさぎたくなるような歌詞の歌や女たちの嬌声、酔客の戯れ声などが、小さな教会堂に飛び込んでくるのである。あまりにもひどく、教会員たちのがまんのしようも頂点に対し、当然近辺の風紀も日増しに乱れてきたので、教会員たちは「先生、何とかなりませんかね。これじゃあ、集会にはならんです」。「先生、少し遠くなってもいいですから、どこか他の場所に会堂を探して引っ越ししましょう。なあ、みんなで探そう」。物部は少し考えてから言った。「ふーん、それもいいけれども、どうだろう、まず祈ろうじゃないか。神さまに、あの小料理屋を何とかしてくださいと訴えてみようじゃないか。集会を守るためだ。これは、神さまのみ心にかなった祈りにまちがいない。どうだろう、みんなで祈り会を持とうじゃないか」。「先生、賛成!」「それはいい考えだよ」。気の早い者は、「あの料理屋の前に行って、立ち退くように祈ろう」と言ったが、磯部はそれをいさめて、教会に集まって祈ることにした。皆が毎晩、毎晩熱心に集まって神に訴えた。すると不思議なことに店は次第にすたれていき、ついには店は閉めて、どこかに立ち退いたのである。聖霊が確かに働いてくださった。確かに神は生きておられると、教会員たちは祈りの手応えを強く感じた。すると、その店のあった所を借り受ける道が開かれ、サンパウロの教会は表通りに出ることになった。裏通りの路地から表通りに、教会の大きな前進であった。移転の後、第一回目の日曜日には、なんと26人もの人たちが集まって礼拝がささげられた。1927年4月のことである。


冒頭のみ言葉であるが、ペテロは、第一衛所、第二衛所といつくも鉄格子に仕切られた厳重な牢獄に入れられた。獄中の壁にもたれかかったペテロの両側には二人の兵士が置かれ、それぞれの兵士の手と足がペテロの左右の手足にかせと鎖でつながれていた。翌朝にでもペテロは公衆の前に出され、処刑されることが定められていた。その絶体絶命の中で、教会は祈ったのである。その祈りはきかれ、目に見えない御使いがパウロを手引きし、救出したのである。祈りはどんな時も、どんな事でも応えられる。



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