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使徒行伝20章24節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年5月10日
  • 読了時間: 1分

更新日:2024年10月16日

しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。


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パウロは、聖霊に迫られてエルサレムへ行くことと、そこで待っているのは投獄と患難であることを、やはり聖霊によって示されていることを語り、これが今生の別れであると語った。それを聞いたエペソの教会の長老たちは心痛めて抱擁し口づけをして、最後の別れを惜しんだ。


私たちにはそれぞれ「走るべき行程」というものがある。陸上競技においてトラックに引かれる白線、それによって仕切られるコースである。へブル12:1-2にあるように、信仰生活は徒競走にたとえられる。コースをはみ出したら失格し横を見たら失速する。ひたすら主をあおぎながら走るのである。主が私のことを知り尽くして用意してくださる行程である。パウロのように最後まで走り切る者でありたい。そして恵みの福音の証である。これに命をかける時に他人の心に伝わるのである。




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