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使徒行伝3章6節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年2月29日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年12月4日

ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。


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「美しの門」の前に坐して物乞いをする男に向かって、ペテロは「金銀はわたしにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」(6節)と言った。「金銀はない」と言われ、男はどんなに失望したことだろう。しかし思いがけないことが起った。「歩け」と言われ手を取って起こされると、たちどころに足とくるぶしが強くされ、立ち上がって歩き出し、躍り上がって神をほめたたえた。「金銀」とはお金や財のことであるが、金銀のように光り輝くもの、才能、美貌、地位、業績などとも言えよう。しかしそうしたものを持ち合わせていなくとも、私たちのうちにあるものがある。「ナザレのイエス・キリストの名」である。私たちは主イエス・キリストをうちにいただいているのである。このお方の名によって祈るなら、道は開かれどんな困難な道も進み行くことができる。「わたしを強くして下さる方によって、何事でもすることができる」(ピリピ4:16)。


物乞いの男は門の前に坐り、土埃にまみれてただ置かれていた。私たちもこの物乞いの男のように、ただ置かれているだけの人生を歩んでいないだろうか? 惰性で働き生活する。新しい発見や何かを生み出す感動もない。ただ延々と同じことを繰り返している。イエスの名によって歩むなら、置かれているだけの人生から抜け出し、神のみわざを拝し感謝と喜びをもって歩むことができる。






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