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使徒行伝9章10-16節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年4月6日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年11月6日

さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。


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このアナニヤのごとく、主イエスに呼ばれて、迷わずに、「主よ、わたしでございます」と答えることのできるものでありたい。私たちもこのように答えるなら、次に示される主の言葉に答える用意が備わるのである。主がアナニヤに命じられたことは、あってはならぬこと、とんでもない主の命令だった。もっとも恐れられていた迫害者サウロと接見せよというものだった。サウロと接見せよなどとは、こちらから捕まえられに行くようなものだと言って、アナニヤは主の言葉に反論したのである。しかし、「さあ、行きなさい」。主の意向は変わらなかった。アナニヤは「さあ、行きなさい」という主の言葉に有無を言わず従ったのである。この名もないアナニヤの従順によって、神の選びの民と異邦の民、あらゆる人々に、どんな困難もいとわず、全世界をかけめぐってキリストの福音を語り伝える大いなる器が起こされたのである。




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