使徒行伝9章4-9節
- Pastor

- 2024年4月5日
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更新日:2024年11月6日
彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。
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パウロ(回心以後、ギリシャ名で呼ばれるようになった)が、第一テモテ1:15において「わたしは罪人のかしらである」と言ったのは、おおげさに言ったというものではない。彼のキリスト者に対する迫害は、恐ろしいほどに非情なものだった。多くの敬虔な人々を捕らえ、死に至らせたのである。あのステパノの殉教以後、一層激しいものとなった。
意気揚々とダマスコに向かったサウロの行く手を、天よりの一条の強い光がはばんだ。光に撃たれたサウロは落馬し地に倒れ失明した。そのとき、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いたのである。「主よ、あなたは、どなたですか」と彼が尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と天の声は答えたのである。ここで注目したいのは、「なぜわたしを迫害するのか」と主が言われたことである。「なぜクリスチャンを迫害するのか」とは言わなかった。私たちがクリスチャンであることのために、謂れのない事を言われ、そしられる時、それはキリストに向かって言われた言葉である。私たちがダメージを受けることがないように、主イエスが一身にそれを受けてくださるのである。「サウロ、サウロ」と二度呼んだその呼び声は、サウロを諭そうとするあわれみに富んだ声である。その呼び声を聞いて、彼の内に煮えたぎるようなクリスチャンへの憎しみと怒りは、火が消えたようにおさまってしまった。「さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」という主の言葉に従って、彼は部下たちの手引きを得、ダマスコの町へ入って行った。新しいサウロ、後のパウロの誕生、その幕開けである。






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