詩篇23篇1節
- Pastor

- 2025年8月18日
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主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
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主が羊飼いであるならば、私たちは「牧の羊」(詩篇100:3)である。主なる神によって造られ、生かされているものであって、神なしには生きられない。だから、神にいっさいの主導権を明け渡し、神の御声に、みことばに、羊が飼い主に従うように、私も神に従うのである。このような信仰は、主体性がないというかもしれない。しかし、これは人任せではなく、神任せである。神を畏れ、神に委ねるなら、むしろ、無責任な、「人任せ」な生き方を回避できる。「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる 」(ヨハネ10:11)。よい羊飼いは命にかけて羊を守る。同10:10には、単に命を守るということにとどまらず、「豊かに得させる」という。それは「生きていて良かった」と実感できるような、充実した豊かな人生を送らせてくださるということである。そして大事なもう一つの意味は、死んでもなお生きる復活のいのち、尽きることない永遠のいのちを与えてくださるということである。永遠のいのちがあるから、この地上でたとい報われなくとも、主は天において報いてくださる。






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