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詩篇30篇1-5節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2025年8月25日
  • 読了時間: 2分

主よ、わたしはあなたをあがめます。あなたはわたしを引きあげ、敵がわたしの事によって喜ぶのを、ゆるされなかったからです。

わが神、主よ、わたしがあなたにむかって助けを叫び求めると、あなたはわたしをいやしてくださいました。

主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、墓に下る者のうちから、わたしを生き返らせてくださいました。

主の聖徒よ、主をほめうたい、その聖なるみ名に感謝せよ。

その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。


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この詩篇の作者には、ふたつの苦悩があったことが記されている。ひとつは「敵」と言われる者によって悩まされていたことである。今も絶えることがないいじめは、人の弱味につけ込み、他人の目の届かないところで、何度も繰り返し行われ、その都度悪質さはエスカレートしてゆく。その行き場のない苦しみに耐え切れず、命を絶つ人がある。しかし主イエスを信じるなら、その脅かしに屈することはない。「神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵対できるでしょう」(ローマ8:31)。もうひとつは「病」である。今日、これだけ医療技術が進歩しても死に至る病気がある。死に瀕している人も主により頼み祈るなら、主は死から命に連れ戻して下さる。


私たちの長い人生の中で、災いと言われるような日はほんのわずかで、神が良くして下さった恵みの日々は圧倒的に多い。にもかかわらず、「私の人生に何ら良きことはなかった」と思ってしまうのは、良きことがあたり前と思われ、悪しきことだけが滅多に起こらないだけに強く印象づけられるからだ。


私たちは人間関係の中で悩み、病のために床に伏す。辛く悲しく、あるいは心配でたまらず、眠れない夜を過ごす。しかし、闇夜にいつまでも包まれていることは決してない。必ず朝が来て朝陽が私たちを輝き照らすように、主を信じているなら、必ず喜びの朝が来るからである。



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