詩篇32篇1-2節
- Pastor

- 2025年8月26日
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そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。
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人にとってはさいわいはそれぞれある。長年積み重ねて努力してきたことが公に認められ、人々の高い評価と称賛を得られたこと。家族と旅行に出かけ、いつまでも残る思い出を作れたこと。一日の仕事を終えてゆったりと湯舟につかること・・・・。しかし、それらはしばしば一時的なものである。
聖書が告げる、人として根本的な普遍的なさいわいがある。それは、私たちの創造主なる神、私たちの本当の親のもとに返ることである。教会に行って、あるいは苦難に遭遇して自分の本当の姿を見せつけられ、それを心から認める。それは私たちのうちにある罪を認めることであるが、そのようにして自分の罪を神の前に言い表わすなら、神は私たちの罪をゆるし、おおい消してくださる。主が十字架にかかってくださったからである。そのようにして神と私たちをへだててるものが取り除かれ、神のもとに立ち返ることができるのである。神と共にある、それが人として何よりの幸いなのである。






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