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詩篇62篇8節

  • 執筆者の写真: 舟喜ふみ師
    舟喜ふみ師
  • 2025年5月16日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年6月4日

敬虔な心を育てる(3)


民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。


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私たちはとりすまして、優等生的な祈りをあまり心も伴わずに、祈っている時があります。しかし、どうにもならなくなって、本心を言い表わし祈る時、堰(せき)を切ったように、祈りの言葉があふれ出てくるのです。それが「心を注ぎだす祈り」です。


母親が子供の床のそばで一日のことをありのまま申し上げて、敬虔な態度で祈る時、子どもの心にも祈りたいという心が育っていきます。言葉で注意しても効き目のない時に、祈りは常に力あるものだということを、私たちは経験するのです。


ある高校生が、毎日お弁当を持って出かけて行くけれども、学校へ行かないで、遊んで帰るということがありました。両親が心配して、隣の部屋で「どうも、あの子は出来損ないだ」という話をしていました。それを聞いた息子は、もっとも頼りにしていた両親からそんなことを言われて、「仰せのとおり、出来損ないになってみせる」と、次の日から夜遊びを始め、十二時、一時まで帰らなくなりました。母親はクリスチャンでしたが、冬の寒空の下、外に出て地面にひれ伏してその子のために祈っていました。ちょうどその時、息子が帰り、母がいないので外を見ると、木陰に隠れて祈っている姿を見、息子は言い知れぬ申し訳なさでいっぱいになり、急いで駆け寄り、涙にむせぶ母を揺り動かして謝りました。息子は、母と共に父親のところに行って詫び、翌日から、息子は全く変わって真面目に勉強に打ち込むようになりました。この時の敬虔な祈りを、この息子は生涯忘れず、神に従うものとなったに違いありません。




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