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イザヤ書53章1-2節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2025年4月3日
  • 読了時間: 1分

だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。

主の腕は、だれにあらわれたか。

彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。

彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。


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主イエスは貧しい大工のせがれとして、馬小屋で生れた。「ナザレから、なんのよきものが出ようか」(ヨハネ1:46)とあるように、ダビデの家系という以外は、この世の視点からすれば、見るべき姿はなく、威厳もなく、慕うべき美しさもなかった。「ナザレのイエス」は、人々にとってはつまずきの他なかった。「主の腕は、だれにあらわれたか」。気位が高く、神の前にへりくだれない人の目には、メシヤ、救い主の姿は隠されてあったのである。




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