イザヤ書53章7-9節
- Pastor

- 3月28日
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彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
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昨日の6節には、羊飼いのもとを離れてしまったら、迷ってもとに戻れない羊の習性が語られてあったが、7節には、羊の飼い主に対する従順さが描き表わされている。主がゲッセマネの園で捕縛され、大祭司の前に立たされ一方的な不当な裁判を受けた時に、総督ピラトの最終裁判を受けた時も、ピラトはなんとか主イエスを無罪にしようと努めたが、主は決してご自身の無罪をご自分の口から主張することはなかった。主は終始父なる神のみ旨に任せ、無言のままだった。主は黙々と十字架の道をたどられ、打たれ断たれた。十字架の苦しみを受け、死を遂げたのである。主は死後も悪をなす罪人と共にあった。最後の最後まで罪ある者を見捨てない主の姿を見る。






イザヤ書53章のメッセージを細かく教えて下さりありがとうございます。主の御苦しみの意味を味わうことができ、感謝します。