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コリント人への第一の手紙13章1-3節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2023年2月1日
  • 読了時間: 2分

たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。


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私たちが信じる神は、大切なものはすべての人に等しく与えておられる。命、救い、愛・・・などがそうである。それに対して賜物と呼ばれる能力や才能、財産などは前者に比べれば、さほど重要なものではないので、個々に違って与えられる。勉強がよくできる人、ピアノを上手に弾く人、お金持ちの人などを見て、人はうらやましく思う。「創造主なる神は、なんて不平等なのだろう」とつぶやいたりもする。しかし、神は、99パーセントのものはすべての人に平等に同じものを与えておられる。神の賜物(タレント)はわずか1パーセントの違いである。大したものではない。しかもその1パーセントの賜物は、自分のためではない。自分の利得や名声のためではなく、自分以外の他者のために使うために神が与えられたものである。MVPを受賞するような野球選手がいるとすれば、それは年俸何億というお金を稼ぐためではなく、子どもたちに夢を与え、多くの人々に勇気と励ましを与えるためである。神の賜物は、愛をもって他人のために使うのである。そうでなければ、どんなに優れた才能があっても、それはむなしい。「もし愛がなければ、いっさいは無益である」(3節)。




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