コリント人への第一の手紙15章17-19節
- Pastor

- 2024年9月9日
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もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
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コリント教会には、「復活はなかった」とパウロの宣教に異議を唱える者があったようである。聖書の言う「復活」とは、キリストは死からよみがえられ、死を撃ち破られ、それによって私たちも死からよみがえるというものである。それは、われわれのこれまでの経験や見聞によっては受け入れがたいことである。復活に対して不信をいだく人がいてもおかしくはない。
しかし、パウロは言う。もし、復活がなかったとするならば、私たちの宣教も信仰もむなしい。キリスト者は空虚な望みにすがって、思い違いをして信じているのであって、これほどあわれむべき存在はないという。「使徒」と呼ばれる十二弟子をはじめ、多くのキリスト者は、命をかけてキリストの復活を証言しつづけた。復活を信じていたからこそ、その証言のために命を捨てることができたのである。
主は言われた。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」(ヨハネ11:25)。私はキリストの十字架によって、私の過去の罪も、現在の罪も、これから先犯すであろう罪もいっさい赦されていることを信じる。そしていつか息をひきとり、死に至っても、そこからよみがえり、神の約束の永遠の住まいに迎え入れられることを信じる。その信仰はこれからもずっと変わることはない。






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