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コリント人への第一の手紙15章3-4節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年9月4日
  • 読了時間: 2分

わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、...


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クリスチャンは何を信じているのか?それは、イエス・キリストの十字架と復活である。


教会に通い、くり返しこの福音の真髄について聴くならば、なぜキリストは十字架にかかったのか、復活があって本当に人は救われるのだということを知識としては知るだろう。しかし、その知識だけでは信じるということにはならない。


私がそうだった。キリストの十字架と復活が、自分のこととして受けとめられていなかったからである。入信前、よく言ったことが、「二千年前にキリストが十字架にかかったことが、なぜ私の罪のためであると言えるのか」だった。ピンとこなかったのである。それは、自分の罪ということがよくわかっていなかったからである。


しかし、教会に通い、牧師に祈られ、「信じられるように祈りなさい」と言われ祈るようになり、信じられるようになった。


聖霊が私の心の目を開き、自分の罪に気づかされたからである。それは嘘をついた、物を盗んだということもそうであるが、その根源にある原罪、自己中心に気づかされたからである。それがわからせられて、キリストの十字架がわかったのである。「キリストの十字架が私のためでなくて、誰のためだと言えるであろうか。私のためにこそ、キリストはあの十字架の上につけられたのだ」ということが信じられたのである。


そして、そのように信じた瞬間に、私は変わったのである。「これから自分はクリスチャンになるのだから、自分はそれにふさわしく変わらなければならない」と言って自分の意志で変えようとしたのではなく、神が変えてくださったのである。


その経験をとおして、自分はいつか死んでもそこからよみがえさせられ、キリストと同じ栄光の身体に変えられることもまた、信じられるようになったのである。




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