コリント人への第一の手紙2章7-8節
- Pastor

- 2022年11月30日
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むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。
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キリストの十字架と復活福音は神の奥義である。聖霊の働きによりその奥義に到達することができる。成田の開拓伝道が始められた初年に教会に集うようになった人があった。シアトルでクリスチャンの友人と出会い、毎週教会へ通っていたという。彼女は帰国し、成田の教会にほぼ毎週礼拝に通い、平日の聖書研究会に出席していた。それから5年が経ち、信仰の導きをしてきたものの、信仰告白、洗礼には至らなかった。彼女は言う。「創造主なる神がおられ、その神の恵みによって生かされていることは信じている。しかし何故その上、イエス・キリストを信じなければならないのか、私にはわからない」と。それは彼女の正直な思いだった。「キリストがわかるように、キリストの十字架が信じられるように」と一緒に祈った。それから1年後のことであるが、信じられる時が来た。自身の罪について、聖霊によって諭され気づかされたからである。聖霊の光は私たちの心のうちを照らす。ひたすら自分のことを求めている心の貧しさに気づかされ、自分の無知、無力さを心から認めるようになる。すると、キリストの十字架が鮮やかに私たちの前に現われ、神の奥義は知るものとされるのである。






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