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コリント人への第一の手紙4章1-5節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年12月12日
  • 読了時間: 2分

このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。わたしはあなたがたにさばかれたり、人間の裁判にかけられたりしても、なんら意に介しない。いや、わたしは自分をさばくこともしない。わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。わたしをさばくかたは、主である。だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。


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コリントの人々は、パウロやアポロ、ペテロを担ぎ上げて、分派を作っていた。パウロはそれを戒めて、パウロであろうと、アポロであろうと、ペテロであろうと、それは取るに足らない者だと言い、ただキリストに仕え、福音の奥義を管理する者に過ぎないことをここに述べている。彼らのような指導者によって、私たちはキリストを信じる信仰に導かれ、この福音の奥義を知る者とされたのである。

ならば、私たちもまた、キリストに仕え、福音の奥義を管理する者である。キリストは、神であるのに人となられ、仕えられる立場にありながら、人に仕えられた。そしてご自身の命を私たちのために捨てられたのである。このキリストを信じた者はこのお方の前にひれ伏すべきである。そして、主がそうされたように、だれに対してもへりくだって仕えるのである。それがキリストに仕えることである。




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