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コリント人への第一の手紙4章14-16節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年12月16日
  • 読了時間: 2分

わたしがこのようなことを書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、むしろ、わたしの愛児としてさとすためである。たといあなたがたに、キリストにある養育掛が一万人あったとしても、父が多くあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音によりあなたがたを生んだのは、わたしなのである。そこで、あなたがたに勧める。


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16節「わたしにならう者となりなさい」とある。信徒の頃、「私を見ないで、神様を見なさい」とよく信仰の先輩から聞かされた。人の言動が人をつまずかせる場合があるからだ。消極的な信仰の処方箋である。しかしパウロは「私を見て、私にならう者となりなさい」と言った。パウロだからそう言えたのだと言う。果たしてそうだろうか。クリスチャンであってもあやまちを犯す。それでも、そこから立て直るすべを知っていて、自らの罪あやまちを認め主の前に告白し、主を見上げて行くなら、その人はそこから必ず立ち直り、そのことをばねに成長して行く。クリスチャンになったばかりの人にとって、むしろ罪あやまちを犯した時に、どのようにして立ち直ることができるのか?が、もっとも大きな関心事のひとつである。あやまちを犯さない模範ではなく、犯した時の模範を見せてほしいと願っているのである。


あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙である(第二コリント3:3)。


私たちひとりひとり、神によって書かれたキリストの手紙である。私たちを見れば、キリストはどのようなお方であるか、世の人々は知るのである。




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