コリント人への第一の手紙4章8-13節
- Pastor

- 2022年12月15日
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あなたがたは、すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちを差しおいて、王になっているのだ。ああ、王になっていてくれたらと思う。そうであったなら、わたしたちも、あなたがたと共に王になれたであろう。わたしはこう考える。神はわたしたち使徒を死刑囚のように、最後に出場する者として引き出し、こうしてわたしたちは、全世界に、天使にも人々にも見せ物にされたのだ。わたしたちはキリストのゆえに愚かな者となり、あなたがたはキリストにあって賢い者となっている。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊ばれ、わたしたちは卑しめられている。今の今まで、わたしたちは飢え、かわき、裸にされ、打たれ、宿なしであり、苦労して自分の手で働いている。はずかしめられては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。
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パウロをはじめとする使徒たちは、福音の宣教をなして行く上で、愚かな者、弱い者、卑しい者とみなされ、しばしば飢え、かわき、裸にされ、打たれ、宿なしで、ののしられ、この世のちり、人間のくずのようにみなされ、人々の見世物にされたという。こうした迫害を受けたのだと言うパウロの背後に浮かび上がってくるのは、主イエス・キリストのお姿である。主も、あの十字架において同じ苦しみを受けられたのである。キリスト者として証をし、主に従うことのゆえに、このどれかにあたるようなはずかしめを受けたことがあるとすれば、それは恥ずべきことではなく、嘆かわしいことでもない。むしろ誇るべきことである。主はその場におられてそれをご覧になっておられ、とこしえに記憶してくださるだろう。






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