コリント人への第二の手紙3章18節
- Pastor

- 2024年5月18日
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更新日:2024年9月17日
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。
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今朝は上掲のみ言葉の後半である。主と交わり、主を知る。また、主の交わりの中で主に知られる。そのようにして、主と同じ姿に変えられてゆくのである。「朱に染まれば、赤くなる」という諺があるが、私たちは、「主と交われば、主のようになる」。
オズワルド・スミスは次のように言っている。「私たちが主のようになりたいと思うなら、できるだけ多くの時間を主と共に過ごすことである。その人が主とどれだけの時間を過ごしたか、その分だけ、主に似たものとされる」と。
英国の将軍ゴードンは、神と永遠の時を過ごした人であった。第一次大戦、一師団を指揮していたゴードンという英国将軍が、夜間行軍していた。途中、休憩をとることになった。彼はひとつのテントに入って、部下に「20分経ったら声をかけてくれ、出発の用意をするから」と言って、テントの中で独り祈ったという。20分という時間が経ったので、テントの中にいる将軍に部下が声をかけたが、返事がない。そっと中を覗いたら、将軍の姿が神々しく輝いて見え、冒し難いものを感じたので、部下はその場を離れた。しかし、これ以上待てない時間となって、部下は将軍に声をかけた。すると、ゴードンは「もう20分経ったのか」と答えたという。主との交わりは、クロノスではなく、カイロスという時を過ごすことである。クロノスとは、時計が刻む時間、カイロスは永遠とつながっている神の時間である。
モーセのように、主イエス・キリストの似姿に変えられて行きたい。モーセのあの命がけの執成しは、主との交わりの中で主を知り、主の本質(アガペー=見返りを求めない愛)に似せられ、上より与えられたものである。






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