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コリント人への第二の手紙5章14-15節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年9月27日
  • 読了時間: 1分

なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。


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聖霊の光に私たちの心のうちが照らされ、心の奥底にひそむ原罪(根源的な罪)である自己中心が明らかにされると、キリストの十字架が私たちの目の前に浮かび上がってくる。「誰のためでもない、私のためにこそ、十字架にかかられた」ということを知るのである。すると、キリストの愛が大水のように私に押し寄せ、迫ってくるのである。キリストの愛を知るのではない、押し迫るのである。すると、その人はもはや自分のために生きられなくなる。私のために死んでよみがえった方のために、生きないではおれない者とされるのである。パウロがそうであった。私を導いた牧師もキリストの愛に駆られて、政府の弾圧を受けても、教会に人が誰も来なくなっても、押しつぶされることなく、生涯をささげて主に従った。それによって私が罪と滅びから救われたのである。




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