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テモテの第一の手紙1章15節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2月16日
  • 読了時間: 1分

キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。


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「違った教え」(3節)を説く者がおり、それを警戒して、パウロはここにキリスト教信仰の本髄を示し、そこに立ち返るべきことを教えている。キリスト教信仰とは何か?キリストの来臨は何のためであったか?それは罪人を救うためであると明言されている。キリストは罪人のためにこそ、十字架にかかられたのである。どんな悪らつな罪人であろうと、彼を救ってやまない。それは確実なことであるとパウロは言う。何故そう言えたのか。それは、「私のような罪人のかしらさえ、神のあわれみによって救われたからである」。だから、どんな人であっても救われないはずがないと言うのである。これは大げさに言っているのではなく、13節に「以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった」と言っている。罪と滅びの中から私たちを救われた主イエス・キリストを宣べ伝えてゆきたい。



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