テモテへの第二の手紙2章21節
- 舟喜ふみ師

- 2025年5月31日
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更新日:2025年6月4日
神の傑作(4)
ですから、誰でも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は貴いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。
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神様は、み言葉によってこのように素晴らしい新しいご教育をなさるのですが、注意をしなければならないことがあります。「不義を離れよ」ということです。世に居る私たちは、御血によって生涯の汚れを取り去っていただいたものですが、うっかりすると世の人の真似をいたします。イエス様は、「わたしがこの世のものではないように、彼らもこの世のものではありません」と注意をされました。欲に引かれていくと、良心のとがめが起こります。神のみ言葉は、そのような心には届きません。その人が年長者でも学者でも区別はありません。神は、そのような人を神の御用のためにお用いにならないのです。
昔エリという、老練な祭司がいました。子どものことで注意しなければならないことを注意せず、良心のとがめられるままにしていました。神様は、そのエリに大切な御用があるのですが、その熟練した祭司には、そのみ声がわかりません。そのため、少年サムエルを、夜中に三度もお呼びになって、み声をお聞かせになりました。
せっかく神の声がかかっても、聞く耳を持たない者があまりに多いことは残念なことです。
今は、イエス様の十字架により、誰でも信じさえすれば、至上のみ言葉を聴く耳が与えられます。これは福音の時代の特権です。信じて神と和解せられた者には、他の人にはできない神の御用があるのです。この世を自分と和解させるために、和解の務めが私たちに委ねられているのです。
イエス様が地上でなさっていらっしゃった光栄ある御用をお授けになるのです。実際に経験した者のみがこの光栄を味わうことができます。なんという神の傑作でしょうか。
私たちはキリストの使節なのです。(第二コリント5:20)






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