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マタイによる福音書16章21-23節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年3月7日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年9月28日

「受難の告知」

この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。


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主イエスが「わたしをだれと言うか」と、十二弟子のひとり一人の顔を見回し問うた時に、ペテロは独り主の前に立ち、迷うことなく、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と答えた。この明快な信仰告白は、上より与えられたものであり、心の内に働く聖霊のささやきによるものであった。


ところがその直後のことである。主は、ご自身が如何なるキリストであるかを初めて明かしたのである。それは、十字架につけられて人々に殺され、三日目によみがえるというものであった。それを聞いたペテロは「とんでもない、そんなことがあるはずがない」と言って、主をいさめたのである。それに対し、主は「サタンよ、引き下がれ、あなたは神の事を思わないで、人の事を思っている」と厳しくとがめられた。ペテロは最愛の弟子の一人である。その彼が「サタン」呼ばわりされたのである。誘惑は最も近い間柄にある者から来る。主は毅然とした態度でそれを退けたのである。ペテロは聖霊に導かれ、信仰告白をしたものの、神の奥義と言われるキリストの十字架と復活を理解するのにはほど遠かった。この時から主は受難の道、十字架の道をまっしぐらに歩まれ、その後も何度も十字架と復活の予告をするが、誰一人、救い主の真の救いのわざを理解する者はなかった。まだその時が来ていなかったからである。


神に次ぐ智慧(ちえ)を持った者はサタンである。だから、私たちはサタンの謀略と智慧に太刀打ちできるものではない。それ故、神の陣営にしっかり身を置かないと、打ち負かされてしまう。しかし、そのサタンにしても、キリストの十字架と復活によって人を救うなど、思いもつかなったのである。キリストを、人々のねたみと憎しみと怒りによって十字架の死に至らせた時、あのC・S・ルイスの『魔女とライオン』に描かれているように、サタンは世に遣わされた子なる神を殺し、神の救いの計画を破綻させ、世界を完全に自分の手中におさめたと思って絶頂に酔いしれ、躍り上がったのである。サタンは頭が良すぎて、鋭いほどに賢すぎて、神の救いのご計画を見抜けなかったのである。だから、ペテロをはじめ他の弟子たちにしても、そして今日の私たちにしても、頭で理解し知力で知ろうとしてもわかるものでは決してない。


しかし、人が幼な子のように、柔らかくへりくだった心で神に向かい、求めて教会に通いつづけ、聖書の言葉に耳を傾けるなら、そよぐ風のように聖霊は私たちのところに訪れ、まず、自分さえよければいいとする、自分の罪に気づかせてくださる・・・そうすると、私たちの目前に、キリストの十字架を鮮やかに浮かび上がってくるように、「キリストは、私のために十字架につけられたのだ」と心から信じられるようになれるのである。




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