マタイによる福音書16章24節
- Pastor

- 2023年6月21日
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それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
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だれでも、みなひとりひとりに背負うべき十字架というものがある。家庭に恵まれ、経済的に恵まれ、能力的にも健康的にも恵まれ、何ら苦労するものがないという人がいたとしても、その人しかわからない大変さというものがあるにちがいない。「これさえなければ、自分は幸せであったろうに」と思うような、宿命的なものである。それを仕方なしに、いやいやながらということでなく、主イエスが、神が負わせてくださる十字架として、自らすすんで、喜んで負ってゆく時に、主が負われた十字架に私たちは近づき、少しでもそれが理解できるようになって、神の賜わる恵みを味わい知るようになる。






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