マタイによる福音書16章25節
- Pastor

- 2023年6月22日
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自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
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主イエスは、ここに見られるような逆説の真理をいくつも語られた。山上の説教の冒頭、「心の貧しい人はさいわいである」に始まる八つのさいわいもそうである。これを頭でわかろうとすると、一層真理から遠のき、幼児のような柔らかく素直な心、そしてへりくだった心で「主よ、お教えください」と言って相対するなら、その真理は私たちの前に開かれ、解き明かされる。そして、体験してわかるものである。
花の詩画を描く星野富弘氏の作品に、オダマキの絵と詩がある。「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」。頸椎を損傷して全身が動かなくなり、見舞いに来る人たちから「いのちだけは助かったのだから、生きなければならない」と励まされ、懸命に生きようとしたが、そう思えば思うほど、生きることがつらかったという。ある日、聖書をもって見舞いに来てくれた人がいて、聖書からいのちよりも大切なものがあることを知った。いのちは大事にしまっておくものではなくて、いのちよりも大切なことのために使い費やすものであることを知った。いのちを使えば使うほど、いのちは生き生きとし輝いてくることを体験し知ったのである。






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