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マタイによる福音書16章26節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2023年6月23日
  • 読了時間: 1分

たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。


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ヨブは神の祝福を受けて子宝に恵まれ、経済的に豊かな生活を送っていた。ところが、一日のうちに、子どもたちとその家族、そして家畜などの財のいっさいを失った。その時に、ヨブが神に向かって祈った言葉である。


「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記1:20)。


私たちがこの地上でどんなにも富を築いても何一つ来世に持ってゆくことはできない。ヨブが言うように、裸で生れ、裸で死に至るのである。ヨブの揺るがぬ信仰に平伏する。何故、ヨブはこのように祈れたのか。それは、「主が与え」と言っているように、ヨブは、すべては神によって与えられたものだと受けとめ、主に感謝しつつ、一時もそのことを忘れたことがなかったからではないか。


今、生かされていることに感謝し、主イエスがご自身のいのちにかえて与えられた、永遠のいのちを受け取るものでありたい。




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