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マタイによる福音書26章59-65節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年3月14日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年11月23日

「裁 判」

さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていた。そこで多くの偽証者が出てきたが、証拠があがらなかった。しかし、最後にふたりの者が出てきて言った、「この人は、わたしは神の宮を打ちこわし、三日の後に建てることができる、と言いました」。すると、大祭司が立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか」。しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「彼は神を汚した。どうしてこれ以上、証人の必要があろう。あなたがたは今このけがし言を聞いた」。


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神と人の間に立ってとりなしをする大祭司と神の律法をつかさどる律法学者たちとは、ただイエスを有罪とするために、不利な偽りの証言を並べ立て、「あなたは隣人について偽証してはならない」というモーセの十戒の第九戒をあからさまに破り、恥も外聞もなく、不当な裁判をくり広げたのである。それに対し主はイザヤ書53:7の預言のとおり、「彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった」のである。そして、肝心な場面では、主は自ら救い主であることを否まず、言い表わしたのである。


私たちも、うそ偽りをもって争おうとする人の口にのせられず、ただ「イエスこそ、神であり救い主である」ことを証言するものでありたい。




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