マタイによる福音書27章45-46節
- Pastor

- 2024年3月23日
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更新日:2024年9月28日
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
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主イエス・キリストの十字架の苦しみは肉体的な苦しみだけではなかった。人々からののしられ、はずかしめられる精神的な苦しみがあった。しかし、主にとってもっとも耐えがたかった苦しみは霊的な苦しみであった。肉体的な苦しみ、精神的な苦しみは耐えに耐えた。しかし、霊的な苦しみは耐えがたく、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と、思わず絶叫されたのである。この言葉をして、「キリストは救いを成し遂げられなかった」という人々がある。「こんな弱音を吐く者が人を救えるはずがない」と言うのである。しかし、私たちはそのように批判する資格はない。何故なら、この「神に捨てられる」という霊的な苦しみを経験したことがないからである。歴史上、唯一、神に捨てられたのは、このキリストの他にない。私たちがどんなひどい目にあっても、あるいは、どんな悲惨な死に方をしたとしても、神に捨てられてはいない。本当に捨てられるのは、最後の審判以後のことである。神に捨てられるという状態は、私たちには想像もつかない。私たちが今生きている世界はなんと素晴らしいことであろう。美しく、心地よく、安らかである。それは神の御手がそこに届いているからである。それに対し、神に捨て置かれる場所は、神の御手と光の届かない、はてしなき暗やみである。私たちがそのはてしなき暗やみに捨てられることがないために、ご自身が私たちに代わって捨てられてくださったのである。あの主の叫びは、その苦しみをまともに受けられたという証拠に他ならない。






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