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マタイによる福音書27章46節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2023年6月28日
  • 読了時間: 2分

そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。


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神が人となってこの地上に来られた最大の目的は、贖いの十字架であった。私たちが受けなければならない罪の刑罰を、主イエス・キリストが私たちの身代わりとなって受けてくださったのである。


キリストの十字架の苦難には三つあげられる。ひとつは肉体的苦痛である。頭には茨で編んだ冠がかむせられ、その上からこん棒でたたかれた。太いとげが目やこめかみに刺さった。十字架の上に寝かされ、両手両足に釘が打たれた。それをロープで吊し上げ、あらかじめ掘ってあった穴にドスンと底部を落とす。体全体の重みが釘を打たれた両手両足にかかり、血がほとばしり出る。


第二は精神的苦痛である。人々は「おまえが神の子なら、十字架から降りて自分を救ったらいい」と言ってののしった。


第三は霊的苦痛である。それが上掲のみ言葉である。先の二つの苦痛は耐え抜かれた。しかし、父なる神に捨てられるという苦痛には耐えきれず、絶叫されたのである。この苦痛は味わったのは、キリストただ一人である。どんな悲惨な死に方をした人でも、神に捨てられた人は、この世には一人もいない。人が神に捨てられるのは最後の審判以後である。キリストは、この苦しみに私たちが遭わせられることがないように、盾となってこの苦しみをまともに受けてくださったのである。三位一体の神が引き裂かれることなど、驚天動地、あり得ないことである。そのあり得ないことが起こったのが十字架である。このキリストの十字架の死苦しみを無にすることなく、すべての人がこの十字架を仰いで神と和解したい。




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