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マタイによる福音書5章23-24節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2023年5月2日
  • 読了時間: 2分

だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。


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「祭壇に供え物をささげる」とは神を礼拝することである。広くは、主と共に歩む信仰生活全般をさしているとも言える。私事を言えば、夫婦喧嘩をしたままで、講壇には立てない。日曜日を待たずに、さっさと自分の方からあやまることにしている。心がざわついて神様の御用ができないのである。


結局のところ、神は私たちに何を求めておられるのか?聖書は何と言っているのか?そのような問いに、主イエスは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛すること」。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛すること」(マタイ22:37—40)と二つのことを言われた。この二つのことは表裏一体であると言える。つまり、神を愛することは人を愛することであり、人を愛することは神を愛することである。


「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。

第一ヨハネ4:20


渡辺和子氏は「好きにはなれないが、愛することはできる」と言って、課題としての愛ということを述べている。それは、神に愛されているから、いつかできることである。また、愛することができなくとも、祈ることはできる。そして祈りの中で愛は育まれてゆく。




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