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マタイによる福音書6章12節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2023年5月16日
  • 読了時間: 2分

わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。


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この主の祈りの一節から、「私が他人の罪をゆるすことをしなければ、私の罪はゆるされないのか」と言った人があった。それは、この節に対する正しい理解ではない。他人の罪をゆるすことができない、それが私たちの本性である。私たちには、自分を傷つけた人に対する燃え立つように憎しみがある。ゆるすことなどあってはならないと腹の底から思っているのである。しかし、それは私たちの心を腐らせ、私たちの受ける損傷はあまりにも大きい。ゆされないこともつらいが、ゆるせないことはそれに等しくつらいものである。この二つの苦々しい思いから私たちを解放するのが、キリストの十字架である。この十字架をあおぐ時、たとい取り返しのつかない罪であっても、私たちの心に「私はゆるされたのだ」という揺るがぬ確信が与えられる。そして、「絶対にゆるさない」という思いから解放されて、「私はゆるす」という思いが私たちの心の底から湧き上がってくるのである。映画『ベン・ハー』の一シーンを思い出す。主人公が主の十字架を仰ぎ見た時に、親友の裏切りに対する激しい恨み、憎しみから解き放たれたのである。憎しみはもっとも非人間的なあり方である。憎しみから解かれて、人は人間らしい人になるのである。




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