マタイによる福音書6章28-29節
- Pastor

- 2023年5月22日
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また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
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ソロモンは地中海の中継貿易によって巨額の富を得た。その財をつぎ込み、豪華絢爛な神殿と宮殿を築いた。これがソロモンの栄華である。しかし、主は言われた。名もない野の花の美しさは、このソロモンの栄華をはるかにまさるものだと。ソロモンの栄華の何たるかを知っている民衆たちは、誰もが「そんなはずがない」と反論したであろう。われわれにとっても同じである。「野の花は、迎賓館赤坂離宮よりもうるわしい」と言えば、誰も同じく答えるであろう。それは、野の花をよく見ていないからである。名前もわからないような野の花は、踏みつけられ雑草としてむしり取られ、何の価値も見いださない。見向きもしないのである。見ていないからわからない。忙しいであろうが、どこかで時間をつくって、公園などを散歩し、野の花をじっくりと観察したい。果たして、野の花は赤坂離宮よりも美しいのか・・・。主は言われる。「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか」(マタイ6:30)。






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