マルコによる福音書10章17-22節
- Pastor

- 2022年9月14日
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更新日:2022年12月8日
イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、
「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。
イエスは言われた、
「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。
すると、彼は言った、
「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。
イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、
「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
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主の前に現われたこの人は、他の福音書の記述を総合すれば、富める青年、職業は役人だった。彼は「永遠の命はどのようにして得られようか」と真剣に求めている人であった。ただひとつ、彼の求めがずれていたところは、「何をしたら」という問いかけである。彼は何かをして永遠の命を得ようとしていたのである。
主は、永遠の命は、決して何かをして得られるものではないことをわからせるために、先ず「モーセの十戒」の対人関係においてのおきてについて問うた。彼は「それらのことは、幼き時から守っております」と事もなげに答えた。次の問いにおいては、主はいつくしみの目をもって彼を見つめ問われた。「あなたに足らないことが一つある。あなたの財産をみな売り払って、貧しい人々に施しなさい」と言われた。彼はその言葉に愕然とし、悲しみながら主の前を立ち去った。
この富める青年が永遠の命を得る前に知らなければならなかったことは、自分がどんなに律法を守ろうとも、貧しい人に施しをし、どんな素晴らしい善行をしても、その行いによって救われることはないということであった。
青年はそのことを、衝撃をもって思い知ったのであって、彼は、大きく一歩、彼が求めていた永遠の命に近づいたのである。
私たちはどんなに厳格に律法を守ろうと、どんなに善行を積み重ねようとも、永遠の命を得、救われることができない。それほどに私たちは罪にまみれ、救いようのないほどに汚れているのである。
人はどのようにして救われるのか?それはキリストの十字架をあおぐ外にない。私たちはただ神の恵みとあわれみによって救われるのである。私たちは何も持たない手を差し出して、十字架の上に完成された救いを受け取れるのである。そうすれば、私たちは救いに入れられ、永遠の命が得られるのである。
私は、この富める青年はきっとその後、この救いの奥義を知って、永遠の命を受け取ったに違いないと思っている。それは、富を惜しんでそれを捨て切れず、もう自分は救われようがないと絶望して、大きく一歩、神の救い、永遠の命に近づいていたからである。もうひとつは、いつくしんで彼を見られた主の目である。あの主の目は、三度否んだペテロを見つめられた主のまなざしである。その目の中には主のとりなしの祈りがあったからである。






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