マルコによる福音書10章35-44節
- Pastor

- 2022年9月20日
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更新日:2022年12月6日
さて、ゼベダイの子のヤコブとヨハネとがイエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」。
イエスは彼らに「何をしてほしいと、願うのか」と言われた。
すると彼らは言った、「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」。
イエスは言われた、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」。
彼らは「できます」と答えた。
するとイエスは言われた、「あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けるであろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、ただ備えられている人々だけに許されることである」。
十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネとのことで憤慨し出した。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。
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ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、主が御国を完成され、それを治める地位に就かれたとき、「私たち兄弟をそれぞれ、その左右の席に就かせていただきたい」と願った。よりによって、主が十字架の予告をされた直後である。だから主は「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない」と言われた。主は、泥沼に沈む私たちを救うために、上から引き上げられたのではなく、私たちよりも低いところに下られて私たちを下から持ち上げられたのである。主はその泥沼の中に沈み、私たちは救い出されたのである。それが十字架の救いである。そのようにして救われた者が入れられる神の御国は、権力や富、人の地位や優劣とは無縁の国である。私たちは何年、主を信じ、主とつき合ったら、そのことがわかるのであろうか。






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