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マルコによる福音書10章45節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年9月21日
  • 読了時間: 1分

更新日:2022年12月8日

人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。


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「人の子」とは、メシヤ(キリスト)の別称である。つまりは、イエスご自身のことをさしている。神である方が人となって、仕えられるのではなく仕えるために来られたという。「わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる」(ヨハネ9:4)と言われ、限られた公生涯の中で、主はしもべのように働かれた。私たちと主の関係にあってどちらがしもべであろうか。私たちは願うばかりで、しもべとしてどれだけ仕え、主の言葉に従っているだろうか。





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