マルコによる福音書10章46-52節
- Pastor

- 2022年9月22日
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更新日:2022年12月8日
それから、彼らはエリコにきた。そして、イエスが弟子たちや大ぜいの群衆と共にエリコから出かけられたとき、テマイの子、バルテマイという盲人の物乞(ものご)いが、道ばたにすわっていた。ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫び出した。多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」。イエスは立ちどまって「彼を呼べ」と命じられた。そこで、人々はその盲人を呼んで言った、「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた。イエスは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救った」。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。
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「バルテマイ」という名はテマイの子という意味である。彼は目が見えなく、道端で物乞(ものご)いをしていた。今、目の前を通りかかった人がナザレのイエスであると知るや、バルテマイは「ダビデの子イエスよ、私をあわれんでください!」と一度ならず何度も大きな声で叫び求めた。人々は彼をしかって黙らせようとしても、叫びつづけた。救い主イエスがここにおられると知るや、彼は叫びつづけた。だれも彼を止めることができなかった。何度も申し上げて来たが、祈りで大切なことは、求め続けることである。いつまで続けるのか。それは答えられるまでである。「やはり答えられないのか」と祈りの答えを自分で出してはいけない。出すのは主ご自身である。
主が「わたしに何をしてほしいのか」と言われると、彼は迷わず、「見えるようになることです」と答えた。私たちも、自分の本当の思い、願いをずばり言える者でありたい。






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