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マルコによる福音書11章25-26節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年9月30日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年12月6日

また立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。〔もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう〕」。


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主が語られたこの言葉は、人をうらむことと人をゆるさないということがひとつのものととらえている。人をうらむことは人をゆるさないことであり、人をゆるさないことは人をうらむことである。うらむ、あるいは憎むというものは私たちの心に大きなダメージを与える。うらみ憎む思いをかかえつづけると、私たちの心はむしばまれ、病んでゆく。一刻も早く手放すべきである。しかし、私たちには、なかなかそれができない。離れようとしても離れられない。または、離してはならない、忘れてはならないと自分に言い聞かせてしまうこともある。ところが、主イエス・キリストと出会い、そのゆるしの愛を受けたときに、心のうちに長くとどまっていたうらみつらみがいつのまにか消え去ってしまっていたということに気づく。母姉を地下牢に入れ、彼をガレー船に送った友人に対する燃えさかる復讐心が、キリストの十字架の前に立った時に消え失せたあのベン・ハーのように。主にゆるされ、人をゆるし、ゆるされるという神のゆるしのサイクルの中で生かされたい。






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