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マルコによる福音書14章36-38節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年10月23日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年12月3日

「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」


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ゲッセマネの祈りにおいて、主は恐れおののき、悩みつつ祈った。「悲しみのあまり死ぬほどである」と弟子たちに吐露している。ルカ22:44には「汗が血のしたたりのように地に落ちた」とある。主はこのように苦しみもだえながら、「父よ、御心なれば、この(十字架の)苦杯を取り除けてください。ただわたしの思いではなく、御心のなるようにしてください」と三度にわたって祈ったのである。石を投げて届くほどの距離、12、13メートルほどだろうか、そこに側近の三人の弟子、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをはべらせた。彼らも共に祈って支えてほしいという願いがあったのだろう。しかし、それはかなわなかった。一度目も、二度目も三度目も祈り終えて彼らのもとに来てみれば、彼らは眠りこけていた。「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と主は言われた。祈りは主のためというよりは、彼ら自身のためにあった。彼らをはべらせたもう一つの目的は、祈る姿を彼らに見せるためであったのではないか。重大な決断をする時には、戦いのような祈りがあることを、自分の本当の思いを打ち明けながら、しかし、最終的には主の御旨に従うことをわからせるために。本当の思いを打ち明けて、それが神に受けとめられているという手ごたえがあるなら、神の御心の内に自分の思いが溶け込んで、神の御思いと私の思いがひとつになれるのではないだろうか。








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