マルコによる福音書14章3、8節
- Pastor

- 2024年3月8日
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更新日:2024年11月23日
『神の時を知り、神の心を知る』
イエスがベタニヤで、重い皮膚病の人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。(マルコ14:3)
この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。(マルコ14:8)
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主イエスが十字架にかかる数日前のことである。ひとりの女性が主の頭にナルドの香油を注いだ。三百デナリ(三百万円相当)以上もする高価なものである。
「何故、そんな無駄なことをするのか」と批難する者があった。それに対し、主は「この女はできるかぎりのことをしたのだ」と言って弁護された。彼女にとって大きな犠牲を払う行為であったが、それでも本人は物足らなさを感じていた。彼女が心からしたいと願ったのはお金や物ではなく、身も心もささげる献身であった。香油の注ぎは献身を表わす手段にすぎなかった。
この女性はベタニヤのマリヤであると言われる(ヨハネ12章)。マリヤは、姉マルタが「動の人」であるのに対して「静の人」であった。彼女は主の足許にひざまずき、主のみことばを聴いた。ただ聴いていたのではない。主の語られる表情、語調から主の心を感じ取り、主の十字架の死期を悟ったのである。十二使徒は三年半、主と寝食を共にしたが、主の受難の時を間近にしながらも、主の時、主の心を察することはなかった。そればかりか、主の行く手の前に立ちはだかり十字架の道を閉ざそうとさえした。マリヤは主の時と主の心を知るや否や、犠牲を惜しまず大胆に行動した。真の行動力は主の前に静まる人のうちに生れる。
「静まって、われの神たるを知れ」(詩篇46:10)。聖書を読む時、世の喧騒を離れて心静め、文字を超えて主の御声に耳を傾けたい。どのような時にどのような思いで主は語っておられるのか?マリヤのように主の御前に静まり、心を空しくしてへりくだり、主の時と主の心を知る者でありたい。






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