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マルコによる福音書1章41-42節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年7月13日
  • 読了時間: 1分

更新日:2022年12月3日

イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、重い皮膚病が直ちに去って、その人はきよくなった。


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主イエスのいやしは、その出会うひとりひとりによって違う。それはたぶん、病には様々な種類があり、同種の病であっても、人によって病症期間が異なり、痛みや辛さの感じ方が違うからではないか。この場合、主は手を伸ばして、患部にさわりいやされた。「きよくなれ」と命じられるだけでも、いやすことはできたのであろう。しかし主は、あえてさわられていやしたのである。祭儀的な理解によれば、手を置くとは、置いたものと自分とが同化することを意味する。主はその人にさわり、その人のそれまで負ってきた痛み苦しみを少しでも知ろうとされたのではないか。イザヤ書53章によれば、主は悲しみの人で病を知っていた。そして、十字架の上でその病を負い、打たれた傷によっていやすという。主のいやしの権威と力は、主の深いあわれみと十字架の血潮にある。








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