マルコによる福音書2章17節
- Pastor

- 2025年6月14日
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イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
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主と出会い、主の弟子となる。それが救いである。マタイは罪ゆるされ、救われたのである。その嬉しさのあまり、同じ取税人仲間と罪人らを招き、主を囲んで食事をしたのである。
「取税人」はローマに納税するために税金を集める仕事である。神をさておいてローマに金を納めることにユダヤ人は反発を感じていた。それに加担し徴税する取税人は「売国奴」とみなされていた。それに対し、取税人は居直ってローマの権力を後ろ盾に税金をむしり取り、余分に取っては私腹をこやしていた。「罪人」は文字どおりの罪人、あるいは神の律法に従わない人たちのことを指した。
そんな評判の悪い人たちと会食する主を見て、パリサイ派の律法学者たちはあざ笑ったのである。それに対して主は、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われたのである。
三浦綾子著『塩狩峠』に次のような場面がある。伝道者がキリストの十字架を描いた絵画を指さし、「キリストを信じたい」という主人公の信夫に向かって言う。「あの十字架にキリストをかけたのは、あなたです」と。信夫は答える。「何ということをおっしゃいますか。私はキリストを十字架にかけた覚えはない」と。伝道者は言う。「それならば、あなたとキリストは何の関わりもない」と。罪がないというのなら、私たちはキリストを信じる必要がない。しかし、聖霊によって心のうちにある罪に気づかされてくると、キリストの十字架は、私たちの目の前に鮮やかに映し出されてくる。
救いを求めて教会に通い続けることである。そうすると、少しずつ心の目が開かれてくる。






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