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マルコによる福音書2章28節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2025年6月17日
  • 読了時間: 2分

それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである。


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安息日に、主イエスは弟子たちを伴って麦畑の中を歩いておられた。麦の穂は垂れ、実りの時期を迎えていた。弟子たちはお腹がすいていたようである。その穂をつまんで食べ始めたのである。すると、それを見ていたパリサイ人は、「安息に、あなたの弟子たちはなぜしてはならぬことをするのか」と言ってとがめた。ここでは、他人の麦畑に入って穂をつまみ取って食べたこと自体を、とがめているのではない。空腹の旅人が飢えをしのぐために麦の穂をつまみ食べることは許されていた。聖書の律法はきわめて人道的である。ここでパリサイ人が問題としているのは、「穂をつまむ」行為のことが労働することに値するということであった。安息日にはいっさいの労働が禁じられていたからである。


安息日は、本来人間のためにあるはずのものが、人間を縛り、安息を奪い取っている。本来人に幸いをもたらすべき律法が不幸をもたらしている、本末転倒が起こっていたのである。


「人の子」は来るべき救い主をさしている。イエスご自身のことをさしている。主は、「安息日にあらゆる人に安息を与え、憩わせる主として来たのだ」と、ご自身の権威と力をここに述べておられる。主は復活の日に、「安かれ」と言われた。新約の時代となって、安息日は土曜ではなく、主の復活の日、日曜である。そしてこの日は、主の日、「主日」と呼んでいる。この日に主とお会いし、主からいのちの息吹を受けて、神のいのちに生かされ、「安かれ」と声をかけていただいて、心身共に霊の深みまで平安をいただく日とならせていただきたい。



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