top of page

マルコによる福音書7章24-30節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年8月22日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年12月8日

さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった。そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。すると、女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。


*******

 

悪霊につかれた娘を救ってほしいと、スロ・フェニキヤの女が主の前にひれ伏して願った。主はふり向きもせず冷淡だった。それは「囲いの中の失われた羊以外には遣わされてはいない」とマタイの福音書に言われているように(マタイ15:24)、異邦人への宣教は、弟子たちの後の働きに委ねられていたからである。それでも執拗に嘆願する女に、主は決定的なことを言われた。「わが子のことをさしおいて、小犬にパンを投げてやるのはよくない」と。そこまで言われたら、通常はあきらめて帰ったであろう。ところが彼女は違っていた。「小犬でも食卓から落ちるパンくずはいただきます」と言って食い下がった。主は「その言葉で十分である。娘から悪霊は出てしまった」と言われ、主のお言葉のとおり、娘はいやされた。主は女の言葉に信仰を見たのである。その信仰とは、あきらめずに求めつづけること。答えられて当然ということではなく、主の前にへりくだり、ただ主のあわれみを乞うことである。祈りは時として試みられる。祈ってもなんら音沙汰がない。主は聞いておられないわけではなく、聞く気がないわけでもない。主は私たちの信仰を試されておられるのである。





コメント


bottom of page