top of page

マルコによる福音書7章34-35節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2025年7月12日
  • 読了時間: 2分

天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ」と言われた。これは「開けよ」という意味である。すると彼の耳が開け、その舌のもつれもすぐ解けて、はっきりと話すようになった。


*******


耳が聞こえず、話すことのできない人が、主イエスのもとに連れてこられた。主イエスは彼をひとり連れ出して、両耳に指を差し入れ、ご自身の唾で彼の舌を潤し、その舌に触れられた。それから天を見上げて深く溜息をつき、「エパタ」(「開け」という意味)と言われた。すると、彼の耳は開かれ、舌のもつれは解けて、はっきりと話せるようになった。


いやしは見せ物ではない。個人的・人格的な触れ合いの中でそのみわざはなされる。主は相手の痛みをつぶさに知り、その苦しみを自分の身に負うていやす。だから、主のいやし方は相対する人によって異なる。このいやしの出来事は殊更にユニークだった。主の語られた言葉でそのままアラム語の表記がされてある。


今日も、私たちに向かって「エパタ」と主は声を上げられる。本当に開かれなければならないのは、私たちの霊の目であり霊の耳である。それを開くためにこそ、主は私たちのところにおいでくださった(イザヤ35:1-10)。「エパタ」という主の叫びの声が、私たちの心の耳をつんざき、主の御声が聴こえるようになり、主に心から従える者とならせていただきたい。



コメント


bottom of page