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マルコによる福音書8章34-35節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年9月1日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年12月6日

それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。


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自分を捨てること、自分の十字架を負うことは、だれしも厭(いと)うことである。ところが、主イエス・キリストと出会い、主の十字架の愛を知り、キリストの復活を信じる時に、その信仰の成長と共に、自らすすんで自分を捨て、自分の十字架を負う者とされてゆくのである。「わたしのために」とは、主のためにということであるが、それは、私を、あなたを必要としている人のためにということである。まず心にとめなければならないのは、私にとって、あなたにとってもっとも身近な人のためにということである。主が「この人を愛するように」ともっとも近くに置いていてくださる人である。その人のために、われを忘れ、自分の命を差し出すようにしてその人を愛し、その人に尽くすときに、かえって自分の命を救うという思い、経験をするのである。「生きているのがつらい」「いっそ死んでしまった方がいい」と思っていた人に、弱々しく死にかけているような命に、きよく澄んだ命の水が流れしみわたって、息を吹き返すのである。「受けるよりは与える方がさいわいである」(使徒20:35)とは本当のことである。「この人のために命を捨ててもいい」と思ってその人に尽くすときに、かえって自分の命が救われる経験をするのだから。






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